元理研CDB副センター長の西川伸一氏が書いた「捏造の構造分析」という記事に寄せられた科学ライター詫摩雅子氏のコメントの指摘について、有志の会ブログコメント欄で検証していたものを改めて記事にまとめ直すつもりでいたのだけれど、そのままになっていたので取り敢えずブログコメントをコピペすることにした。内容は、自己点検報告書に記載されている「TCR再構成のアドバイス」に関する時系列に「あの日」に書かれた事実との食い違いがあり、西川氏がAASJに書いた内容と突き合わせて見れば、自己点検報告書の方に間違いがあり、しかもミスではなく意図的に日付を書き換えた疑いがあるというもの。
~以下転載(一部修正)~
http://blog.livedoor.jp/obokata_file-stap/archives/1064582234.html#comments
1484.
ところで、詫摩氏の指摘には『西川先生にアドバイスを求めたのはCDB自己点検委員会の報告書によれば2012年3月ですが、『あの日』ではリジェクト以降になっています。』というのもあって、「あの日」の記述と自己点検報告書の時系列と食い違いがありますね。
自己点検報告書20ページ
『2012 年 3 月 西川 GD より小保方氏に T 細胞受容体(TCR)遺伝子再構成の解析に関するアドバイスがあった
2012 年 4 月 最初の論文をネイチャー誌へ投稿。不採択』
「あの日」97ページ
『ネイチャーからの不採択を受け「西川先生に原稿を見てもらいアドバイスを受けよう」と若山先生から誘われ、若山先生とともに西川研に赴いた。』
アドバイスを受ける経緯として、「あの日」の記述はごく自然な流れだし、西川氏も『少なくとも私に関わる部分は全て真実だった』と証言しています。つまり自己点検報告書の方が間違っているということでしょう。
以前から自己点検報告書がデタラメなことは何度も指摘していますが、もしかするとこの時系列の間違いは単純ミスではなく、何かの意味があって入れ替わっているかも知れませんね。なにしろ、TCR再構成の問題は若山さんの責任を笹井さんに押し付けた一番のポイントですからね。
1494.
面白い情報を見かけました。
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12.stapman より:
2014年8月15日 8:42 PM
「最初にこの話を聞いたのは仕事でイスラエルに滞在していた約1年半前の事」とのことですが、下記の魚拓によると当初は1年半前ではなく3年前と記述されていたようです。なぜ書き換えられたのでしょうか?
http://megalodon.jp/2014-0223-0149-03/aasj.jp/news/watch/1069
また、STAPについて初めて知ったのが1年半前とすると、「CDB自己点検の検証について」3ページの「2012 年 3 月 12 日、西川伸一GDより小保方氏にT細胞受容体(TCR)遺伝子再構成の解析に関するアドバイスがあった。」という記述と食い違いが生じるように思えます。これは自己点検報告書が誤っているということでしょうか?
http://www3.riken.jp/stap/j/c13document14.pdf
返信
nishikawa より:
2014年8月15日 9:15 PM
時間は記憶間違いです。年を取ると何でも昔のことに思います。調査委員会には全て私のメールを開示していますので3月12日が正しいです。私にとってはどちらも同じですが。
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アドバイスの日付が3月12日となっているのは、西川氏が調査委員会に開示したメールに基づいているということですね。
TCR再構成アドバイスについて、自己点検報告書3ページにある「研究の経緯」の中では以下のように記述されています。
(2)小保方氏の若山研究室における研究の経緯
①2008 年、小保方氏は、ハーバード大学 C.バカンティ研究室において、細胞にストレ スを与えると多能性を再獲得(初期化)するという仮説の検証に関する研究を開始した。
②2011年4月より若山研究室の客員として在籍していた小保方氏は、様々なストレス処理の中から酸処理が STAP 細胞作製に効果的であることを見いだした。そして、 2011年11月、小保方氏が誘導したSTAP細胞を元に、若山氏がキメラマウスの作製と STAP 幹細胞の樹立に成功した。
③小保方氏、若山氏及び C.バカンティ氏は、これらの結果をまとめた論文を作成し、 2012 年 4 月にネイチャー誌に投稿したが、不採択となった。
④2012 年 4 月 24 日、C.バカンティ氏、小保方氏らを発明者とし、ハーバード大学が中心となって米国特許仮出願を行った。その結果、1 年以内に本出願をする必要性が生じた。
⑤2012 年 3 月 12 日、西川伸一 GDより小保方氏に T 細胞受容体(TCR)遺伝子再構成の解析に関するアドバイスがあった。
⑥2012 年 4 月 27 日、小保方氏は神戸研究所(2013 年 4 月から神戸事業所)研究倫理第一委員会において STAP 現象に関する説明を行い、その研究内容は、同委員会の内部委員であった松崎文雄 GD 及びオブザーバーの竹市センター長の知ると ころとなった。なお、西川 GD も内部委員であったが、既に STAP 現象を認識していた(上記⑤)。その際、小保方氏は STAP 細胞を iPS 細胞と比較し、その優位性に言及した。
⑦2012 年 6 月 6 日にセル誌へ投稿し不採択となった原稿には切り貼りのなされた TCR 再構成データが含まれており、この一部が 2013 年 3 月 10日投稿のネイチャー誌アーティクル論文の切り貼りされた TCR 再構成のデータとして使われている。 このころ、小保方氏は、若山氏の支援を受けてSTAP 細胞から胎盤形成に寄与する幹細胞を樹立する研究に取り組んだ。
1496.
経緯が時系列に沿って並んでいますが、3月12日のアドバイスが⑤になっているのは、記述の仕方として非常に不自然です。アドバイスが本当に3月12日だったのであれば、③よりも前、②と③の間に書かれるべきもので、それが⑤に書かれているのは、元は4月27日の倫理委員会と近接した日付だったものが、なんらかの事情により後から日付を書き換えられている疑いがあります。ナンバリングがそのままなので非常に不自然な表記となっている。
もしも報告書の日付通りに、3月アドバイス→4月ネイチャー投稿の流れならば、西川氏が「あの日」を読んで『少なくとも私に関わる部分は全て真実だった』と言ったことが嘘になります。人の記憶というのは日付など時期については曖昧でも、ことの経緯はそんなに忘れるものではなく、特に、出会いに「強い印象を受けた」という相談に来たのが初投稿前かリジェクトされた後かというのは大きな違いで、西川氏がいい加減な嘘つきでなければ日付の方が間違っている可能性の方が高いでしょう。時期の記憶は、3年前と言ったり1年半前と言ったりかなり適当です。
そして、「あの日」が正しく西川氏の『少なくとも私に関わる部分は全て真実だった』が嘘ではない場合、ネイチャー投稿&リジェクト→アドバイス→特許仮出願→倫理委員会という流れが、なにやらキナ臭いものがあるのかもなんて妄想も膨らんでしまいます。
1497.
それにしても、AASJのこの記事は大変貴重な証言ですね。
『この論文には私も思い出が深い。最初にこの話を聞いたのは仕事でイスラエルに滞在していた約1年半前の事で、メールでの依頼に応じて論文のレフェリーコメントにどう答えればいいのかなどボストンのバカンティさんと電話で話をした。その後帰国してから、若山研に寄宿して実験をしていた小保方さんと出会って論文についてアドバイスをした。話を詳しく聞いて研究の内容についてももちろん驚いたが、小保方さんと言う人物にも強い印象を受けた。特に最初の論文のドラフトを読んだ時、自分の気持ちをそのままぶつけた初々しい書き様に、普通の研究者とは違うことを確信した。』
http://aasj.jp/news/watch/1069
『メールでの依頼に応じて論文のレフェリーコメントにどう答えればいいのかなどボストンのバカンティさんと電話で話をした。』
ここで西川氏に「メールでの依頼」をしたのは若山氏でしょう。当時西川氏は理研のメンター制度で若山照彦氏のメンターの立場にありました。若山氏からの相談を受けて、西川氏が論文の連絡著者バカンティに直接電話を掛けたという流れになるかと。この時点で既に論文投稿済みということになります。
1498.
「3月12日」とは、イスラエル滞在時のメールのやり取りの日付なのかも知れません。帰国した時には既にリジェクトされていて、そこで実際に小保方さんと面会して直接のアドバイス。という感じではないかと。
3月12日のメールのあて先は若山氏で、もしその内容にTCR再構成に関するものがあったとしても、それは「小保方氏に」対するものではなく若山氏のみが受けたアドバイスですね。西川氏が小保方さんから詳しい話を聞いたときに、原稿を見るなり「TCRや」と言ったのも、事前に若山氏から送られた概略を読んでいたからでしょう。
以上はすべて推測ですが、いずれにせよ自己点検報告書の記載は小保方さんの証言とは食い違っている訳ですから、西川氏のメール提出に基づいてるから3月12日で間違いないというのであれば、「2012年3月12日、西川伸一 GD より小保方氏にT細胞受容体(TCR)遺伝子再構成の解析に関するアドバイスがあった。」という記述の根拠を確認する為に、そのメールを開示請求した方が良いと思います。「真実は細部に宿る」らしいですね。
1502.
上記自己点検報告書「小保方氏の若山研究室における研究の経緯」の③に『2012 年 4 月にネイチャー誌に投稿したが、不採択となった。』と書いてあったので、1496では「ネイチャー投稿&リジェクト」と書きましたが、「あの日」には、この投稿は編集者で跳ねられたのではなく、査読に回った上でリジェクトされたと書かれていて、AASJの記事でも、バカンティ氏がレフェリーコメントに対する答え方の相談をしていることから、査読に回っていることは間違いないので、投稿→編集→査読者→連絡著者→査読者→編集→リジェクトという流れになると思いますので、投稿&リジェクトという表現は適当ではなかったですね。
で、そこで疑問なのですが、この場合4月に投稿して当月中にリジェクトというスピードで結果が出るものなのでしょうか。どうも、この時系列を誤魔化してるっぽい記述の問題には、もしかすると何か重要な問題が隠れているのかもという気がしてきました。
1514.
西川伸一氏は「あの日」に関して『少なくとも私に関わる部分は全て真実だった』と証言しています。そして、AASJの記事と「あの日」を突き合わせて読めば、最初のネイチャー論文投稿とTCR再構成アドバイスの関係を時系列に沿って並べると、日付は不明ですがこんな感じになるでしょう。
スフィア論文を初めてネイチャーに投稿(連絡著者はバカンティ氏)
↓
査読コメントを受けたバカンティ氏から、小保方さんを経由して実験責任者の若山氏に相談。
↓
若山氏からメンターの西川氏にメールで相談。査読コメントに対応するのは連絡著者バカンティ氏なので、直接話して欲しいと依頼。
↓
「メールでの依頼に応じて」西川氏からバカンティ氏と直接電話(イスラエル滞在時のエピソード)
↓
西川氏帰国(相談の甲斐なく既にリジェクト)
↓
小保方さんが若山氏と一緒に西川研を訪問
↓
「TCRや!」
自己点検報告書に記載されている、TCR再構成のアドバイスと論文投稿の時系列は、間違いなく逆転していますね。
この逆転は単純ミスの可能性もありましたが、1495に示したように後から日付を書き換えたような表記の不自然さから、意図的に入れ替えている可能性が高いと思います。入れ替える意味が分かりませんが、意図的に日付を変えるには、変えなければならないだけの理由があるからでしょう。
1515.1516.
時系列を逆転させた理由について考えてみました。
あの日96-97ページ
『幹細胞化の論文のための実験と並行して、私は若山先生から指示を受け、2012年の春頃から体細胞にストレスを与えるとOct4陽性の細胞塊が出来、その細胞塊からキメラマウスが出来るところまでを論文にまとめ投稿を始めていた。』
スフェア研究は「若山先生から指示を受け」て論文をまとめ、ネイチャー、セル、サイエンスへの投稿を開始したということですね。3誌投稿について、自己点検報告書にはこう書いてあります。
2012年 4 月にネイチャー誌に投稿したが、不採択となった。(3ページ)
2012 年 6 月 6 日にセル誌へ投稿し不採択となった(4ページ)
サイエンス誌に投稿し 2012 年 8 月 21 日に不採択となった(4ページ)
セルは投稿日の日付あり、不採択の日付なし。
サイエンスは不採択の日付あり、投稿日なし。
ネイチャーはどちらも日付なし。
記述の仕方がバラバラなんですね。表記に統一性がない時点で公式文書として落第だと思いますが、ネイチャーだけ投稿日も不採択日も正確な日付が書かれていないのが気になります。1495に示した経緯にある、4月24日の「ハーバード大学が中心となって米国特許仮出願」と4月27日の理研の「倫理委員会」の動きは、若山⇔バカンティ間での綱引きから理研⇔ハーバード間の綱引きとなっていくようであり、小保方氏がTCR再構成のアドバイスを受けた時期=「小保方氏と西川氏の出会い」が丁度その時期であることにも、何か意味があったのかも知れない。
つまり、時系列を逆転させたことよりもアドバイスの日付を書き換えたことに意味があって、西川氏がスフェア研究の存在を知った直後に倫理委員会が開かれて「理研の研究」として動き始めていることを隠したかったのではないか。論文投稿とアドバイスの時系列を逆転させたのは、若山氏が主体的に動いた研究横取りの構図を誤魔化す狙いがあったのではないか。と。
1526.
実質的に小保方さんと若山さんのふたりで進めた研究の責任著者が、ハーバードのバカンティになっている論文というところに、最初から問題の火種はあったのでしょうね。
以前も触れましたが、小保方さんと若山さんの間の関係性が、互いに手の内を隠しながらも親しく接する内に、小保方さんは若山さんを頼り過ぎて、若山さんは「僕のポスドク」と呼ぶほどお気に入りの「上司と部下の関係」のような錯覚を起こした、かなり歪な関係だったように思われます。
それだけに、問題発覚後の「自分は手伝っただけ」という逃げ方は、やっぱり許せませんね。そして、その手伝っただけという逃げ方は、自己点検チームがそれを後押ししているというか、そういうシナリオに合わせた自己点検報告書になっていることが分かります。
この時系列の小さな綻びからは、自己点検検証委員会の「悪意」が顔を覗かせています。そして、その悪意が向けられている先は小保方さんより笹井さんに対するものであり、自己点検報告書は若山さんの責任をすべて笹井さんに擦り付ける内容になっています。
研究者の方達は怒った方が良いと思いますよ。
~以上転載~