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カテゴリ: 三鷹ストーカー殺人

 三鷹ストーカー殺人事件で、高裁判決に対して検察側・弁護側双方が上告しなかったため、懲役22年の判決が確定した。
http://news.livedoor.com/article/detail/12646288/

『女子生徒の両親は代理人を通じ、「懲役22年では軽過ぎる。裁判員裁判だが、司法の判断は普通の人の良識とは懸け離れていると感じる」とするコメントを発表した』

 
手続きに問題があったとして裁判員裁判をやり直すという異例の事態となったこの裁判で、司法に翻弄された遺族の苦しみは計り知れない。一審の裁判に問題があるとして差し戻されたのも、そもそも検察の起訴に問題があったのだと私は思う。起訴内容が「殺人、住居侵入、銃刀法違反」となっていて、脅迫、強要、強姦、ストーカー行為、リベンジポルノ等の被害者が受けたありとあらゆる苦痛に対する罪がひとつも起訴されていないのだ。「殺人、住居侵入、銃刀法違反」これはいったい何の事件の話なんだと言いたくなる。
 起訴状にない罪で裁いた間違った裁判が差し戻されたやり直し裁判では、今度は犯した罪を裁くために必要な罪状を追起訴しておきながら、求刑を無期懲役から懲役25年に減らしてしまったのもおかしい。犯行の残酷さから死刑を求刑してもおかしくないような事件に、求刑の段階から25年の有期刑だとか、なんでそんなことになってしまったのか。

(毎日新聞に載った遺族コメントで理由が分かった)
<2> 最初の第1審の判決について検察官が控訴しなかったこと
最初の第1審で検察官は無期懲役を求刑しながら、懲役22年の判決に対して控訴しませんでした。控訴しなかったため、差し戻し審1審は殺人罪等について懲役22年を変更することはできなくなりました。被害者の立場を十分に代弁し尊重すべき検察に対しては、大変悔しく、残念です。それは自分たちの使命を放棄したとしか思えないからです。
http://mainichi.jp/articles/20170208/k00/00e/040/332000c
(しかしこれも考えると、差し戻されてのやり直し裁判について、破棄されている原判決に対して「控訴しなかった」ことが影響するというのも、ちょっと意味が良く分からない。一審そのものが破棄されたのだから、控訴していたかとか関係なさそうな気がするのだが。)

 破棄された原判決では「男女トラブルの殺人で被害者が1人の量刑の中ではほぼ上限に位置づけられる」とされていたが、差し戻し審理で求刑の段階から有期刑に限定されたのは、この最初の裁判での「男女トラブルの殺人で被害者が1人」という紋切り型で犯罪実態にそぐわない量刑判断が、やり直し裁判でも踏襲されたことになるだろう。
 以前も述べたが、この裁判が最初から犯人が犯した罪に正面から向き合ったものだったら、「男女トラブルの殺人で被害者が1人」などといった無機質な量刑判断にはならず、無期懲役の判決もあり得たと思うし、それが妥当な量刑だと私は思っている。遺族は死刑を望んでいたが、犯人はそれ位の重罪を犯しているし、全く反省する気配もない。この差し戻し審は、そういう犯人が犯した罪に正面から向き合うための「やり直し裁判」であるはずだと私は思っていたのだが、そういうことではなかったらしい。最初の一審で事件に真剣に向き合い判決を出した裁判員の方達の苦労や思いを無にしてまでも差し戻されたのは、結局「裁判の形が悪かったので、体裁を整え直しました」という裁判所のアリバイ作りに過ぎなかったのかも知れない。
 そもそも、ストーカー被害を相談したその日に殺されるという警察の不手際も悔やまれるこの事件で、さらに裁判でも差し戻しという不手際が起きてしまった。司法に振り回され裏切られ続けた遺族のことを思うと、胸が締め付けられる思いがする。

 これで懲役22年の刑が確定したわけだが、2013年の逮捕から未決拘留で3年以上経っているので、刑期はあと19年もない。事件から22年後の2035年、被害者の両親が80歳を超える頃に、犯人は40歳そこそこで刑期を終える。場合によっては30代で仮釈放されるかもしれない。被害者遺族にとって自分の人生が終わりに近づく頃、自分の娘を殺し嬲り者にした男が社会復帰し、40歳からの新しい人生を始めるのだ。被害者遺族にとってこれほど惨いことがあるだろうか。

先週、東京高裁により裁判員判決が破棄された三鷹のストーカー殺人事件の審理差し戻しについては、是非ともテレビ報道で詳しく取り上げてもらいたい。この事件はストーカー被害相談当日に殺害されるという悲惨な事件で、警察の不手際も悔やまれる事件だった。そして更に今回の裁判での不手際。遺族のことを思うと本当に可哀想で仕方ない。差し戻しの意味についてはこちらに書いた。

事件当時、テレビは被害者が女優を目指していたことを取り上げ大々的に報道してしまったために、実名報道をした後に詳細が明らかになったリベンジポルノの問題について報道を自粛せざるを得なくなってしまった。
本来、リベンジポルノは社会問題として非常に報道価値の高いものであるにも関わらずテレビで報道できなかったのは、未成年の被害者の尊厳を損なうことに繋がるものだったからだろう。しかしそもそも、事件が起きたときにマスコミが被害者の実名を報道しなかったら、犯人がネットに上げた写真と被害者が結びつくこともなく、犯人の自供に基づき拡散する前に粛々と削除されていた可能性もある。つまり、リベンジポルノ自体が不発に終わった可能性があるのだ。被害者の画像拡散の責任は安易な実名報道にあると私は思っている。
昨今のネット社会における被害者バッシングの酷さを思うと、事件被害者の実名報道は慎重であるべきだろう。特に被害者が女性の場合には、事件の詳細が分かるまでは実名は控えるべきではないだろうか。だが、その点に関しては過ぎたことで仕方ないとして、事件後明らかになったリベンジポルノについて蓋をしたまま被害者が美しく描かれ報じられることに反発する愚民たちによって、被害者はネット上では嬲り者にされた上に、酷い噂話で誹謗中傷の嵐に晒され、さらに遺族にも心無い言葉が浴びせかけられていた。
このバッシングは安易な実名報道とテレビの過剰報道に責任があると言えるだろう。

今回の裁判では一審で裁判員が出した判決に対して、裁判が正常な手続きでなかったために差し戻されたが、これは裁判員裁判制度にとっても相当の大問題だ。しかも、この差し戻し判決を、単純に「原判決の刑が重過ぎる」と受け取る市民も多いように感じる。この差し戻しは決してそういう意味ではないことをテレビはしっかり世間に伝えなくてはならない。この差し戻しは単純に量刑不当で差し戻されたのではなく、裁判が適正に行われれば無期懲役の判決に変わることもあり得る裁判だ。このままでは次に裁判員に選ばれる人達は、単に前の判決が重すぎたのだと思ってしまうかもしれない。

こういったことの始末は、事件当時世間を煽ったテレビが自分達の責任でつけて欲しいと私は思う。テレビが正面からリベンジポルノのことを取り上げることによって、この事件とこの裁判の意味が世間に正しく伝わり、犯人が正しく法の裁きを受けられるようにしてもらいたい。これは量刑の軽重の問題ではない。この犯罪が正しく裁かれることがなければ被害者は浮かばれないだろう。被害者は殺されてもなお見知らぬ外道どもによって晒しものにされ、見知らぬ下衆どもよって嬲られ続け、見知らぬ愚民たちに中傷され、そしてさらに司法からも殺されかけている。
テレビはこの全てを伝える義務があると私は思う。

三鷹ストーカー殺人事件の審理が差し戻された。起訴状にないリベンジポルノが判決に過大に影響しているということのようだ。犯した罪に比べて裁判員判決が重過ぎるようなニュアンスを匂わせた新聞もある。しかしそれは違う。起訴されていないことを裁いているから差し戻されたのだ。

前にも書いたが
、この事件は「殺人」「住居侵入」「銃刀法違反」で起訴されている。これはいったい何の事件の話なのかと思うような起訴内容だ。脅迫、強要、強姦、ストーカー行為、リベンジポルノ等の被害者が受けたありとあらゆる苦痛に対する罪がひとつも起訴状に書かれていないのだ。犯行の悪質性を象徴するリベンジポルノを裁くための罪状を立件しないまま、裁判の中では最重要点として立証して行くという検察のやり方が間違いなのだ。
これは一審を裁いた裁判員が悪いのでも、裁判員判決を差し戻した高裁が悪いのでもない。被害実態とかけ離れた起訴状を書いた担当検事と、漫然とした公判前整理手続きを行った林正彦裁判長の怠慢がこういう結果を招いてしまったのだ。

遺族は昨年12月の控訴審公判で「娘の画像は世界中に流れ、今も全部を削除することはできない」とする意見陳述を求めたが高裁はそれを認めなかった。なぜ認められないのかと言えば、遺族の訴えが起訴事実とは直接関係ないことだからだ。この審理差し戻しの意味は、「殺人」「住居侵入」「銃刀法違反」という被害実態とかけ離れた起訴状を書き、犯行の悪質性に正面から向き合うことの出来ない裁判にしてしまい、それに対して「なあなあ」の形で判決を下してはいけないということを高裁は明確に示したということだ。

名誉毀損罪は『毀損された名誉が死者のものである場合には、その事実が客観的に虚偽のものでなければ処罰されない(刑法2302項)。』となっていて、検察は名誉毀損での立件は無理だと判断したのかもしれない。しかし『ただし、名誉毀損をした後、名誉を毀損された者が死亡した場合には、通常の名誉毀損罪として扱われ、当該事実が虚偽でなかったということのみでは免責されない』ことによって立件は可能だし、その解釈を巡って争うくらいの姿勢を見せなければ、この犯罪を正しく裁くことなど出来はしない。

担当検事はこれをどう始末するつもりなのか。その責任は重い。被害者遺族にとって、大切な娘をこれ以上にないほど残酷な目に遭わせて殺した犯人を、法の下で正しく裁いてもらうために頼れるのは検察以外にないのに、この不手際は誰がどう始末をつけるのだろう。

この事件は、ストカー被害相談当日に殺害されるという警察の不手際が悔やまれる悲惨な事件だ。そして今回の検察の不手際。返す返すも、司法に裏切られ続けている被害者と遺族が本当に可哀想でならない。


211日加筆修正

裁判について思ったことを書いたコメントをコピペします。
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2014/08/22-67dd.html

併合罪の説明ありがとうございます。
私は刑法について詳しくはないのですが、刑法47条は罪に対する刑罰を有期刑とされたときに初めて意味を持つもので、殺人罪の法定刑は最高で死刑なので有期刑に限定することが無ければ併合罪には余り意味はないのではないでしょうか。
そして今回「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」とされ有期刑が選択されたのは、起訴状にあった三点の罪についてのみ裁かれたからではないでしょうか。強姦や脅迫、強要、ストーカー行為、リベンジポルノ等の被害者が受けた苦痛に対する罪は、それ自体は裁かれることなく量刑判断の参考資料として採用され、裁判員はその悪質性を認めて併合罪を使った有期刑としての上限の判決を出したわけです。

しかしもしも、強姦や脅迫強要ストーカー行為、リベンジポルノ等も「罪」として裁かれていたならば、「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」という判断そのものが違っていた可能性もあると思います。
法は起訴事実についてのみ刑罰を課すことになるのでこの事件は三点の罪についてのみ裁かれたわけで、それついて「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」となっていて、もしすべての罪を俎上に上げこの犯罪に正面から向き合えば「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」という判断はなかったかもしれません。
少なくとも「男女トラブルの殺人で被害者が1人」という紋切り型の判決文にはならなかったのではないでしょうか。

この裁判は控訴したとしても裁判員が出した一審判決より二審での判決が重くなることは考えにくいので、検察側は控訴しない方向で遺族を説得しているかもしれません。犯人もこれまでの言動から控訴しないことも考えられるのでこのまま確定してしまうかもしれません。
私はこの事件について、検察は被害の残酷さを考えて死刑を求刑しても良かったと思うし、判決においては劣悪な成育環境が原因で人格が歪んでしまった犯人に対して一定程度の同情を示して無期懲役の判決で決着して欲しかったと思っています。
この裁判は、被害者遺族の苦しみをさらに深めるようなとても後味の悪い裁判でした。

遺族は「死刑の恐怖と懲役のリスクは比べものにならない」と言っていますが、私は基本的には死刑制度反対なのですがこの事件について考えると、死刑は抑止力になるんじゃないかと思うようになりました。この犯人は自分のリスクも計算していて、自分の犯罪が死刑にはならないことが前提で犯行を計画しているように思われます。もしこの殺人が死刑になると思ったら犯人はこの犯行を計画していなかったでしょう。
報道される遺族のコメントから、裁判での遺族の歯痒さが伝わってきて胸を締め付けられる思いがしています。

三鷹のストーカー殺人で犯人に対して懲役22年の一審判決が出た。
「強固な殺意に基づく高い計画性が認められ、動機はあまりに身勝手で同情の余地はごく乏しい」「反省を深めているとは認められず、謝罪の言葉すらない」としながら「量刑の幅の上限付近に位置づけられる重いものだが、有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」として懲役22年の判決を言い渡した。

この量刑について林正彦裁判長は「男女トラブルの殺人で被害者が1人の量刑の中ではほぼ上限に位置づけられるものといえる」として妥当性を強調した。恐らく裁判員に対しても「相場」についてこのような内容を説明したのだろう。


「男女トラブルの殺人で被害者が1人」

用意周到な計画的犯行で、未成年の被害者に対して脅迫・強要を繰り返した挙句に殺害し、自分が殺した被害者を貶める目的で児童ポルノに該当する被害者の裸の画像を拡散させるという前代未聞の犯罪に対して、この紋切り型の量刑判断理由はあまりにひどすぎる。リベンジポルノとは、相手を貶めることによって自分が救われようとする自己中の極致とも言える行為である。そうした身勝手極まりない卑劣な行為を無視したかのようなこの判決理由には、被害の重大さをひどく軽く見られているようで遺族にとっては堪らない気持ちになるだろう。

犯人は反省の気持ちはまったく湧いていないどころか、何か発言するたびに被害者遺族の感情を逆なでするような自己中心的で自分を美化した言葉を吐き出し続けている。
もし犯人が本当に自分と向き合い反省し、被害者と両親に対する謝罪の気持ちを持つことが出来るのなら、遺族も少しは救われることもあるだろう。しかし、反省の気持ちも湧かない今の状況で「遺族に手紙を書きたい」などとした発言からも伺えるように、自己承認欲求だけが強く他者への共感能力がまったく欠如した人格が果たして矯正可能なのだろうか。

もしもこの判決が確定したとして、遺族はこれからの人生をどのような思いで生きていくことになるだろうか。犯人の性格から、時機を見て自分の成育歴と被害者に対する思いなどを自分を盛大に美化して書いた獄中手記なども出しそうな気がしている。
22年というのはちょうど両親の残りの人生の時間と同じくらいの長さにあたる。被害者の両親が80歳を迎え自分の人生が終わり近づいた頃、娘を殺した男が40代からの人生を再スタートすることになる。この現実を思ったとき、両親は正気を保って生きていけるのだろうか。22年は遺族を苦しめ続ける遺族にとっての刑期となってしまうのではないだろうか。


そもそも上限の量刑というが、起訴内容が「殺人」「住居侵入」「銃刀法違反」の三点しかなかったというのも驚きで、脅迫、強要、強姦、名誉毀損等、被害者が受けたありとあらゆる苦痛をまるで無視したような起訴状を書いた検察官にも問題があるのではないだろうか。それに起訴内容にストーカー規制法に関する罪状が入っていないのは一体どういうことだ。ストーカー被害相談当日に殺害されたという事態に、裁判での審理が警察の不手際に及ぶことを避けるために検察が意図的に起訴内容から外したのではないか。

もしもそうだったとしたら、司法に裏切られ続けた被害者と遺族が可哀想でならない。

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