よもや真話

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2014年08月

裁判について思ったことを書いたコメントをコピペします。
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2014/08/22-67dd.html

併合罪の説明ありがとうございます。
私は刑法について詳しくはないのですが、刑法47条は罪に対する刑罰を有期刑とされたときに初めて意味を持つもので、殺人罪の法定刑は最高で死刑なので有期刑に限定することが無ければ併合罪には余り意味はないのではないでしょうか。
そして今回「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」とされ有期刑が選択されたのは、起訴状にあった三点の罪についてのみ裁かれたからではないでしょうか。強姦や脅迫、強要、ストーカー行為、リベンジポルノ等の被害者が受けた苦痛に対する罪は、それ自体は裁かれることなく量刑判断の参考資料として採用され、裁判員はその悪質性を認めて併合罪を使った有期刑としての上限の判決を出したわけです。

しかしもしも、強姦や脅迫強要ストーカー行為、リベンジポルノ等も「罪」として裁かれていたならば、「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」という判断そのものが違っていた可能性もあると思います。
法は起訴事実についてのみ刑罰を課すことになるのでこの事件は三点の罪についてのみ裁かれたわけで、それついて「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」となっていて、もしすべての罪を俎上に上げこの犯罪に正面から向き合えば「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」という判断はなかったかもしれません。
少なくとも「男女トラブルの殺人で被害者が1人」という紋切り型の判決文にはならなかったのではないでしょうか。

この裁判は控訴したとしても裁判員が出した一審判決より二審での判決が重くなることは考えにくいので、検察側は控訴しない方向で遺族を説得しているかもしれません。犯人もこれまでの言動から控訴しないことも考えられるのでこのまま確定してしまうかもしれません。
私はこの事件について、検察は被害の残酷さを考えて死刑を求刑しても良かったと思うし、判決においては劣悪な成育環境が原因で人格が歪んでしまった犯人に対して一定程度の同情を示して無期懲役の判決で決着して欲しかったと思っています。
この裁判は、被害者遺族の苦しみをさらに深めるようなとても後味の悪い裁判でした。

遺族は「死刑の恐怖と懲役のリスクは比べものにならない」と言っていますが、私は基本的には死刑制度反対なのですがこの事件について考えると、死刑は抑止力になるんじゃないかと思うようになりました。この犯人は自分のリスクも計算していて、自分の犯罪が死刑にはならないことが前提で犯行を計画しているように思われます。もしこの殺人が死刑になると思ったら犯人はこの犯行を計画していなかったでしょう。
報道される遺族のコメントから、裁判での遺族の歯痒さが伝わってきて胸を締め付けられる思いがしています。

 三鷹のストーカー殺人で犯人に対して懲役22年の一審判決が出た。
 「強固な殺意に基づく高い計画性が認められ、動機はあまりに身勝手で同情の余地はごく乏しい」「反省を深めているとは認められず、謝罪の言葉すらない」としながら「量刑の幅の上限付近に位置づけられる重いものだが、有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」として懲役22年の判決を言い渡した。

 この量刑について林正彦裁判長は「男女トラブルの殺人で被害者が1人の量刑の中ではほぼ上限に位置づけられるものといえる」として妥当性を強調した。恐らく裁判員に対しても「相場」についてこのような内容を説明したのだろう。


「男女トラブルの殺人で被害者が1人」

 用意周到な計画的犯行で、未成年の被害者に対して脅迫・強要を繰り返した挙句に殺害し、自分が殺した被害者を貶める目的で児童ポルノに該当する被害者の裸の画像を拡散させるという前代未聞の犯罪に対して、この紋切り型の量刑判断理由はあまりにひどすぎる。リベンジポルノとは、相手を貶めることによって自分が救われようとする自己中の極致とも言える行為である。そうした身勝手極まりない卑劣な行為を無視したかのようなこの判決理由には、被害の重大さをひどく軽く見られているようで遺族にとっては堪らない気持ちになるだろう。

 犯人は反省の気持ちはまったく湧いていないどころか、何か発言するたびに被害者遺族の感情を逆なでするような自己中心的で自分を美化した言葉を吐き出し続けている。
 もし犯人が本当に自分と向き合い反省し、被害者と両親に対する謝罪の気持ちを持つことが出来るのなら、遺族も少しは救われることもあるだろう。しかし、反省の気持ちも湧かない今の状況で「遺族に手紙を書きたい」などとした発言からも伺えるように、自己承認欲求だけが強く他者への共感能力がまったく欠如した人格が果たして矯正可能なのだろうか。

 もしもこの判決が確定したとして、遺族はこれからの人生をどのような思いで生きていくことになるだろうか。犯人の性格から、時機を見て自分の成育歴と被害者に対する思いなどを自分を盛大に美化して書いた獄中手記なども出しそうな気がしている。
 22年というのはちょうど両親の残りの人生の時間と同じくらいの長さにあたる。被害者の両親が80歳を迎え自分の人生が終わり近づいた頃、娘を殺した男が40代からの人生を再スタートすることになる。この現実を思ったとき、両親は正気を保って生きていけるのだろうか。22年は遺族を苦しめ続ける遺族にとっての刑期となってしまうのではないだろうか。


 そもそも上限の量刑というが、起訴内容が「殺人」「住居侵入」「銃刀法違反」の三点しかなかったというのも驚きで、脅迫、強要、強姦、名誉毀損等、被害者が受けたありとあらゆる苦痛をまるで無視したような起訴状を書いた検察官にも問題があるのではないだろうか。それに起訴内容にストーカー規制法に関する罪状が入っていないのは一体どういうことだ。ストーカー被害相談当日に殺害されたという事態に、裁判での審理が警察の不手際に及ぶことを避けるために検察が意図的に起訴内容から外したのではないか。

 もしもそうだったとしたら、司法に裏切られ続けた被害者と遺族が可哀想でならない。

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