小保方晴子さんの手記「あの日」が出版されてから1ヶ月ほど経つが、手記出版に際して科学界からは「講談社から依頼された原稿の執筆も取りやめる」とか「講談社は生物系の研究者からボイコットされることを覚悟した方がいい」とか、ヒステリックで意味不明な批判が湧き起こっていた。
 そして、出版から1ヶ月が経ちベストセラーの兆しと共に世間の反応も見えてきた頃、元日経サイエンス編集者で科学ライターの詫摩雅子氏が、STAP騒動『あの日』担当編集者に物申す」という記事を書いた。しかし、正直言ってこの人が一体なにを言いたいのか良く分からない。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takumamasako/20160227-00053974/
 学術論文でもあるまいに、「手記」の主張内容に対して編集者が事実確認しなければならないだの、表現を柔らかくしろだの、検閲しろと言っているようなものだろう。仮に小保方さんの主張に矛盾があったとして、それもまとめて「小保方氏本人の主張」なのであって、名誉毀損等の問題がないかは代理人弁護士のチェックもあっただろうし、手記に対してそうした問題をとやかく言って編集者自ら表現の自由を制限しろとか、一体どこの国の話なんだと。この価値観はとても出版に携わる人のものとは思えない。

 おまけに、そういうことを言い出すのなら、日経サイエンスは、論文として採用される前の遠藤高帆氏の主張(査読を受けた論文の主張とは異なるもの、つまり科学的には間違った主張)を検証なしにそのまま載せていたそうだが、そっちは良いのかよという話で、というよりも「科学雑誌」と名乗ってるからにはこっちの方がよっぽど大きな問題だと私は思うわけで、ものごとを何でも自分の都合よく解釈するご都合主義が、こうした自己矛盾を起こすことになるのだろう。

 科学ライターの肩書きを持つ人達はこんなのばかりで本当に嫌になる。理研が不正認定した捏造や改竄など、科学のことを正しい日本語で伝えることも出来ないような人々が、「科学ジャーナリスト」として存在しているのは、社会にとって有害無益と言うほかないだろう。


 もう一本は、産経新聞の「新聞に喝!」というコラムに載った「著書で記者ら名指し攻撃する小保方氏の背景にあるものとは…京都大学霊長類研究所教授・正高信男」というもので、この人の主張も何を言っているのか良く分からない。

http://www.sankei.com/column/news/160228/clm1602280005-n1.html
『そもそも小保方氏は、弁明の公的機会を何度も与えられてきたのに』

 「あの日」を読んでも、理研が小保方さんに対して何をやったか、この先生は読み取れなかったのだろうか。
 調査委員会に対して科学的反論をするための証拠はすべて若山研究室に握られ、外部に対する「弁明の公的機会」も理研によって奪われ続けていたことは「あの日」の主たる主張のひとつだ。

『小保方氏は一連の騒動の最初の段階から、メディアを最大限に利用して売名しようとする姿勢が露骨であったように見える。』

 なぜ「小保方氏」が主語になるのだろう。メディアを利用したのは、理研広報と笹井さんではなかったか。小保方さんが周りの思惑に翻弄されていたのは、本人の手記を読むまでもなく分かることだ。

 それがどうしてこのような解釈になるのか理解に苦しむ。
『著書で特定の相手を名指し攻撃までするということの背景に、メディアを私物化することに執心しているふしがあると感じてしまう。』

・・・

『今月2日付産経に、実験の一部は再現できていたとの小保方氏の主張に対して、理研関係者から「科学者なら科学の場で議論すべきだ」などと困惑の声が上がっている、との記事が出ていた。もっともな話だろう。』

 これはぜんぜん「もっともな話」ではない。
 この手記は「研究者の道が閉ざされた」からこそ出版されたものであり、捏造犯と認定して科学者失格の烙印を押した上で、「別の世界で活躍してください」と言ってきた理研から「科学者なら」とか言われたくないだろう。
 逆に「野依先生のご指示の通り、別の世界で活躍することにしました」と嫌味を返されても当然のことを理研はしたのだから。


本当に手記を読んだ上で書いているのか疑問に思う程、この記事全体が的を外しまくっていて、これを読んだ私の感想としては「何でこの先生はこんなに必死なんだろう」という印象だ。