犯罪者を罰するのはその罪に対してのみでなければならない。
歌手のASKAが覚せい剤所持で逮捕され、レコード会社がCDを出荷停止した上で回収していることが話題になっているが、犯罪事実と無関係な楽曲が影響されるのは道理にかなっていない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。罪が憎けりゃ人まで呪う。 そんな扇情的で非合理的な対応がまかり通る社会は恐ろしい。しかし、音楽業界の場合はイメージ商売なのでイメージダウンになるものは撤去するという判断は仕方ない面もあるだろう。
その少し前に、福岡県の小学校校長が覚せい剤所持で逮捕されるというショッキングなニュースがあった。そして、その校長は校歌の作曲者であったためにどう対応すべきか検討されたそうだ。

では、イメージ商売ではない学校教育の現場ではどう対応しなければならなかったか。

信頼していた校長が覚せい剤というとんでもない犯罪に手を染めた。
子供たちにどう説明して良いのかとても悩むと思う。昨日まで身近な「偉い人」だった校長先生が、それも教育熱心と思われていた校長先生が反社会的な悪いことをしたのだということをどう伝えれば良いのか非常に悩むところだろう。さらに、その校長が作曲した校歌の問題。
しかし、実はこれは子供たちの道徳教育の材料として格好の素材だったのではなかったか。
「犯罪者を罰するのはその罪に対してのみでなければならない。」
校歌について毅然とした姿勢で子供たちに「正義」とは何かを教える絶好のチャンスだったのではないか。

ところが関係者の話し合いでは「子どもたちに正しいことを教えるためにも不祥事を起こした人物の曲は変更する必要がある」という意見で全会一致したと言う。つまり「悪いことをした人が作ったものは使ってはいけません」と教えることが正しい教育だと言う。こんな差別的な価値観を植えつけられて子供たちは育っていくのか。

校歌を聴けばさまざまな受け止め方をする者が出てくることだろう。曲を聴けばその陰には校長がいてその犯した罪が付きまとうし、「犯罪者が作った曲を校歌にするなんて」という苦情を言ってくる親もいるだろう。あるいは、事件により校歌が注目されることで逆に作曲者としての栄誉を与えるような形になれば、それはそれで問題があるだろう。しかし、 そんな事情によって道理を曲げて正義を偽ることの方が、どれほど子供たちに悪影響を及ぼすか。

関係者は平穏な毎日を取り戻すために忌まわしい事件に関するものを消し去りたいのかもしれない。前代未聞の事件を起こした校長が存在した形跡を消したいのかもしれない。しかし、それは問題から逃げているだけだ。そうやって大人が逃げたせいで子供たちは正義を理解することが出来なくなるのだ。

ある作品の制作者がその作品とは無関係なところで罪を犯した時、その犯罪者が作ったものを廃棄することは非常に野蛮な行為だ。廃仏毀釈のようなことはすべきではない。
罪を犯した校長に対する懲戒の意味合いならば作曲者としての栄誉を剥奪すれば良いわけで、作者不詳とでもして作品そのものは残すべきだったのではないか。

それにしても、校歌の歌詞はそのままに曲だけ変えるというこの判断を「子どもたちに正しいことを教えるために」と言って憚らない教育関係者たちには絶望的な気持ちになる。