先日“宇宙膨張の決定的証拠”は誤りではないかというニュースがあった。
宇宙が膨張を続けているというのは科学的に通説となっているが、私は知らなかったがこれまでは宇宙膨張の仮説を裏付けるさまざまな証拠はあっても決定的証拠に欠けていたようだ。

地球は回っているという発見。宇宙は膨張しているという発見。
STAP細胞はこれらと同じような話で、小保方さんは細胞は刺激によって初期化されるという発見をしその実験を成功させてきた。理化学研究所はその実験結果に驚き、彼女を研究ユニットリーダーとして採用し研究成果を世間に公表する準備を始めた。
折りしも理研においては特定法人化の話が進んでいて、国民の理解を得るためにも華々しい研究成果を欲して功を焦っていたであろうことは否めない。小保方さんの説明にある、論文を急かされるプレッシャーを受けていたというのは嘘ではないだろう。
ところが、小保方さんは論文作成の仕方が杜撰だったために、STAP細胞の存在を証明する「決定的証拠」を取り間違えて研究成果を自分で証明することが出来なかった。

そしていま、細胞が初期化されるという発見自体が捏造であるかのように非難される中、笹井博士という権威ある科学者からSTAP細胞の存在は「有力な仮説」に戻ったとされている。そして、理研では仮説の提唱者で発見者である小保方さんを排除した形でSTAP細胞の検証実験が行われることになった。

私は、仮説の提唱者で現象の発見者である人を排除してその仮説を検証するのは、存在が証明出来なかった場合にはそれでも良いのかもしれないが、証明された場合にはどうしても手柄の横取りにしか思えない。理研が仮説を放棄できないでいる時点で、仮説の提唱者で現象の発見者である小保方さんが排除されるのは道理に合わないのではないか。

科学コミュニティにおいては証明した人が偉いのだろうが、一番偉いのは現象の存在を発見しその実験を成功させた人ではないかと私は思う。しかし、小保方さんは今や科学コミュニティにおいては科学者失格の烙印を押され研究を続ける道は閉ざされてしまい、世間からは稀代のペテン師のように扱われ、追い詰められてしまっている。
科学コミュニティの秩序を守る上では、存在の証明に失敗した研究者を排除した形で存在を証明することは大切なのかもしれないが、社会にとって重要なのは「存在する」ことそれ自体であって、証明したことの手柄など二の次三の次でしかない。

今回の経緯は、科学コミュニティが一種の治外法権のような状態になってしまっているために、なにか異次元の社会構造の中で事態が繰り広げられている印象を持ってしまう。
この問題がこういう経緯を辿った原因はどこにあるのかと言えば、科学コミュニティという法治国家のそれとは異次元の社会構造の中にあって、捏造疑惑の被疑者の立場にありながらその中から検察官を選び当の検察官が有罪判決を下すという自作自演とも言える統治システムを社会に晒した、理化学研究所という組織の問題であることは明らかだが、その他にも行き過ぎた権威主義が罷り通る科学コミュニティの異常性と、報道する側までもが権威主義に囚われ絡め取られたマスメディアの無能さにあるのではないだろうか。

理研はSTAP現象が有力な仮説だと言うのなら、仮説の証明が少しでも前に進めるように、裁判などで無駄な時間を費やさずに済むように、小保方さんを参加させた実証実験を行うべきだろう。