長谷川豊氏のブログにコメントを投稿したのだけれど、承認がないため行き場を失った文章の行く先を求めてブログ開設。
といっても、当の文章は既にこちらに投稿したわけだが。http://blogos.com/discussion/2014-05-09/satire/
以下はその拒否られた文章のコピペ。



パロディとは「作品」を批評的に笑いに変えるものであり、私人をモノマネして嘲笑することをパロディとは言わない。
また、作品を扱うパロディとは別に権力者を嘲笑する風刺という形の笑いがあるが、権力者ではない私人を嘲笑するのは単なるイジメである。
具体的に言えば、例えば野依理事長は風刺の対象になるが、小保方氏は風刺の対象たり得ない。また、佐村河内氏はパロディの対象になりうるが、小保方氏はパロディの対象たり得ない。

さて、たびたび引き合いに出される佐村河内氏と小保方氏が決定的に違うところ。
佐村河内氏の場合は自分のキャラクターをひとつの作品として自ら進んで世間に公表しそのことによって利益を得ていた。だからその「作品」を批評的に笑いに変えたものはパロディと言える。(権力を持たない個人を笑いにするのは私は好きではないが)
一方の小保方さんは、自分のキャラクターを売る意図はまったくなくて、本人の意思に反してそのキャラクターを作品化したのはマスメディア(と理研広報)で、さらにマスメディアが本人の意に反して勝手にキャラクター化したリケジョの小保方さんという「作品」(そのことについて本人は怖かったと言っている)を、さらにパロディにするという2重の罪を犯している。
テレビ局なんて下種な人間たちの集まりなのかもしれないけれども、バラエティ番組の製作者は笑いを「仕事」にするのなら少しは笑いの意味をまじめに考えろよと思う。