よもや真話

気になるニュースのことなどをダラダラと

STAP問題に関して、石井委員長の下での理研の最初の調査委員会が間違っていたことは多くの人達の共通認識だろう。
理研がサンプル調査もせず、STAP研究そのものに関する根本的な部分をウヤムヤにして、論文の体裁上の問題で幕引きを図ろうとしたことに科学コミュニティもマスコミも大反発した。一方の小保方氏を擁護する立場からは、小保方氏の言い分に聞く耳を持たず一方的な決め付けで、再現実験も含めて再調査の権利も与えないことに対する批判が起こった。 理研は理研でSTAP論文は捏造だったと結論しながら、本人を除いたメンバーでSTAPを検証するという訳の分からない行動に出た。
この理研本部の動きには、この問題をさっさと終わらせて次へ進もうとする意図がアリアリと見える。そして、この迷走した動きには特定法人指定に絡む政治的意図と圧力が影響したことは想像に難くない。結局、これが原因でSTAP問題は拗れ続けて遂には死者まで出してしまった訳だが、その元凶は理研の理事達であることは間違いない。

STAP
騒動は、理研の対応が迷走する中、大隅典子理事長を筆頭に分子生物学会理事達が適正手続きそっちのけで「実験阻止」の圧力をかけるという、これまたまったく公正さを欠いた形でものごとが進んでいき、NHKを筆頭に科学分野に強いメディアは権威を鵜呑みにした報道を続けていくことになる。そういう意味で、大隅典子氏は理研の迷走に脇から銃を乱射してこの問題を引っ掻き回した重大な戦犯だと私は思っている。
このように、迷走する理研に向けたつもりがあらぬ方向に批判の銃を乱射する科学者達とメディアがタッグを組んで一方的な流れが出来たのだが、そんな中で「本人の手による再現実験」という至極まっとうな主張を展開したのが一研究者・教育者の意見というブログだった。しかし、viewにおいては小保方まっ黒の心証をお持ちのようなので理研改革委員会の、議論の前提に証明されない決め付けを置いた一方的過ぎる論理を問題とは思わなかった様子。
そういう中で小保方氏は、理研認定の「捏造犯」の札を下げ、理研の首輪は繋がったまま道端に放り出され、
3ヶ月以上も袋叩きに遭った挙句、完全に犯罪者扱いで「さあ、ご希望に通り再現実験の場所を用意したのであなた自身の手で証明して見せなさい。」となったのだ。

こうした科学者社会の行いを目にした大衆の間に、小保方氏に対する同情と共に陰謀論が跋扈してしまうのも自然の成り行きで、このデタラメさはすべて科学者たちの責任ではないかと私は思う。陰謀論やデマやニセ科学などが勢いづくのも、マスコミや無知な大衆の責任ではなく、ひとえに正義の側に立つ科学者達の傲慢さが招いた結果と言える。
小保方氏らに対する過剰なバッシングも、マスコミが扇動しているのでもネットの匿名連中が引き起こしているのでもなく、その本質は科学者達の暴力的な決め付けにある。マスコミもネットの匿名連中も権威の尻馬に乗ってお祭り騒ぎをしていたに過ぎない。



STAP
を巡る基本的な構図としては「若山氏を神輿に担いだ正義の有志」vs「祭り上げた小保方氏をさっさと切り捨て欲と保身に走った理研」といった基本形があり、そこに異物として放り出された小保方氏が転がっていて、笹井氏は八方からの板ばさみ状態にあった。

そして、若山氏を神輿に乗せた正義の有志にマスコミが完全に同調してしまったために、一方的で苛烈なバッシングが巻き起こってしまったことが、何よりの不幸だったと私は思っている。NHKは理研有志を情報源とするリーク報道を続け、毎日新聞は若山氏周辺を情報源とするリーク報道を続けた。こうして有志達によるSTAPを巡る聖戦は、「若山氏を神輿に担いだ正義の有志」vs「祭り上げた小保方氏をさっさと切り捨て欲と保身に走った理研」の構図を取りながら、科学報道では飛びぬけて影響力のあるNHKの実際の攻撃目標は間に挟まっていた笹井氏個人や、外側に放り出されている小保方氏に対する批判に集中してしまったのだ。NHKの次に報道量の多かった毎日新聞は、あくまで基本構図を外れることはなかったが、視点がやはり「正義の有志」と共にあったためバランスを失っていた。そういう一方的な報道を受け、世間では小保方批判派と小保方擁護派という形に分かれて行った。これを単純化すると正義を支持する小保方批判派と権威を疑う小保方擁護派という図式が出来上がっているのだ。

こういうマスコミ報道と世間の騒ぎの後押しもあり、科学界のSTAP研究そのものに対する視点は完全に公平性をなくしてしまった。改革委員会で、研究不正疑惑の当事者である若山氏の見解が不正追及側の参考意見として扱われるというのはどう考えてもおかしな話だろう。(改革委員会のデタラメさについてはこちらで詳しく論証されている)別に若山氏が何かをしたというわけではなく、彼は不正を糾そうとする科学界の中で、なにやら正義の象徴のように扱われていて、このバランスの悪さは真実の結果を得るには致命的だろう。更に副作用として若山氏に対し筋違いな悪意を向ける人達も現れるという反動も招いている。

この問題の元凶である理研の理事達はしっかり責任を取るべきだが、私は野依理事長ら戦犯を裁いただけは何も解決することはないと思う。直接にも間接的にもこの問題に関った科学者達は、この騒動で何が起きたのか、自分達がいったい何をしたのか、自分達の言動が社会にどんな影響を与えたのか、振り返る必要があるだろう。


*2月12日加筆修正

三鷹ストーカー殺人事件の審理が差し戻された。起訴状にないリベンジポルノが判決に過大に影響しているということのようだ。犯した罪に比べて裁判員判決が重過ぎるようなニュアンスを匂わせた新聞もある。しかしそれは違う。起訴されていないことを裁いているから差し戻されたのだ。

前にも書いたが
、この事件は「殺人」「住居侵入」「銃刀法違反」で起訴されている。これはいったい何の事件の話なのかと思うような起訴内容だ。脅迫、強要、強姦、ストーカー行為、リベンジポルノ等の被害者が受けたありとあらゆる苦痛に対する罪がひとつも起訴状に書かれていないのだ。犯行の悪質性を象徴するリベンジポルノを裁くための罪状を立件しないまま、裁判の中では最重要点として立証して行くという検察のやり方が間違いなのだ。
これは一審を裁いた裁判員が悪いのでも、裁判員判決を差し戻した高裁が悪いのでもない。被害実態とかけ離れた起訴状を書いた担当検事と、漫然とした公判前整理手続きを行った林正彦裁判長の怠慢がこういう結果を招いてしまったのだ。

遺族は昨年12月の控訴審公判で「娘の画像は世界中に流れ、今も全部を削除することはできない」とする意見陳述を求めたが高裁はそれを認めなかった。なぜ認められないのかと言えば、遺族の訴えが起訴事実とは直接関係ないことだからだ。この審理差し戻しの意味は、「殺人」「住居侵入」「銃刀法違反」という被害実態とかけ離れた起訴状を書き、犯行の悪質性に正面から向き合うことの出来ない裁判にしてしまい、それに対して「なあなあ」の形で判決を下してはいけないということを高裁は明確に示したということだ。

名誉毀損罪は『毀損された名誉が死者のものである場合には、その事実が客観的に虚偽のものでなければ処罰されない(刑法2302項)。』となっていて、検察は名誉毀損での立件は無理だと判断したのかもしれない。しかし『ただし、名誉毀損をした後、名誉を毀損された者が死亡した場合には、通常の名誉毀損罪として扱われ、当該事実が虚偽でなかったということのみでは免責されない』ことによって立件は可能だし、その解釈を巡って争うくらいの姿勢を見せなければ、この犯罪を正しく裁くことなど出来はしない。

担当検事はこれをどう始末するつもりなのか。その責任は重い。被害者遺族にとって、大切な娘をこれ以上にないほど残酷な目に遭わせて殺した犯人を、法の下で正しく裁いてもらうために頼れるのは検察以外にないのに、この不手際は誰がどう始末をつけるのだろう。

この事件は、ストカー被害相談当日に殺害されるという警察の不手際が悔やまれる悲惨な事件だ。そして今回の検察の不手際。返す返すも、司法に裏切られ続けている被害者と遺族が本当に可哀想でならない。


211日加筆修正

元理研の石川智久氏による刑事告発のニュースはスポーツ紙以外ではテレ朝など民放数社を除いて見当たらず、大手新聞やNHKは一切報道しなかった模様。世間は刑事告発されただけで「窃盗の事実があった」という誤った印象を受けしまう可能性があるのでその危険を避けたということか。ではなぜその危険を避けたかといえば、それだけこの刑事告発は根拠が不確かな怪しい告発だということなのだろう。

しかし、このNHKの姿勢は矛盾している。
平成26年7月27日放送のNHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」ではあたかも小保方氏が盗んだような演出がされていたではないか。純心な視聴者には確証があるかのように思わせた。事実、池田信夫は番組を真に受けて「なぜ小保方氏はES細胞を盗んだのか」というブログ記事まで書いている。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51906634.html
NHKに確証があるなら、この刑事告発は民放と同じように報道されてもおかしくないではないか。というより、公共放送としての姿勢に一貫性を持たせるためにも報道すべきだろう。報道は「石川氏が刑事告発をした」事実だけを伝えればいいので、仮に「窃盗の事実」が間違いであっても責任を取る必要はない。なのに報道されない。なぜか。理由は元々NHKは証拠も裏付けも持っていなかったからだ。NHK自身が裏を取れない怪しい告発だから報道しないのだ。

つまり、Nスペは噂に過ぎなかったものをまるで事実であるかのように演出し放送していたということだ。NHKが石川氏の刑事告発の件を報道しなかったという事実は、故笹井博士を自殺するほど追い詰めたとも言われるNHKスペシャルが捏造番組だったと白状したようなものではないか。

理研OB石川智久氏による刑事告発があったことで、小保方氏の「悪意」について再び様々な憶測がされている。
STAP論文に関して彼女が行った不正行為について「これ位だったら大丈夫」という認識を「ばれる、ばれない」の観点から見る人も多いようだが、そういう見方は正しくない。なぜなら、報道などこれまで出てきた情報から見て取れる小保方氏の大胆さは、本人に悪いことをしている意識はなかったと推測されるからだ。悪いことをしていないのだから、ばれるもなにもない。先日も述べたように「大義の前には、問題ではない」という意識ですべては起きているのではないだろうか。

以前、画像改竄について小保方氏の口から「結果が正しいので問題ない」という科学者として基礎がなっていないことを疑わせる問題発言が出たかと思う。そういう意識が「科学者としての倫理感」の欠如であり、データの改竄や捏造に繋がったということだろう。そして、これに関しては研究者として身に着けなければならなかった基礎が出来ていなかったための不正行為であり、その不正については自らも認めている部分だ。確かに、この時点で科学者失格と言われても仕方ないのかもしれない。

しかし、根本部分の「ES細胞とのスリカエ」は「STAPの存在という大義」そのものを失くすことであって、そこに対して「これ位大丈夫」という同じ論理を当てはめることは出来ない。石川氏の告発内容にあるように、「大義」の部分を「名誉や地位や収入」と想定する人がいるが、それは自分の価値観を小保方氏に投影しているに過ぎない。
つまり、小保方氏にはES細胞スリカエの動機はなく、前に指摘したように逆にSTAPを否定する側に大きな動機が存在する。これは何も「巨大な陰謀」など想定しなくても、正義の暴走という形でも起こりうることだ。そしてこの暴走が、遂には人に「窃盗」の汚名を着せようとするまでに至っては、これはもはや正義と呼ぶことは出来ない。

元理研の研究者だという石川智久という人が、小保方氏がES細胞を盗んだとして「窃盗罪」で刑事告発した。「真面目にコツコツと研究を している研究者の怒りを含めて、代表して刑事告発をするに至った」とのこと。直接の関係者でもない外部の人間が、当該物の所有者から被害届けも出ておらず盗難の事実があったのかさえ不明な事件を設定し、小保方氏に対して「窃盗」の汚名を着せるというのは、法を逸脱した正義の暴走だ。彼の告発には理研有志の協力もあるらしい。そう言えば、桂報告書の遺伝子解析も「理研有志」によるものではなかったか。

そもそも、STAP細胞がES細胞ではないかとの疑惑は、査読の段階でも指摘されていたSTAP細胞に対する最も有力な反証仮説だったかと思う。そんな中で論文の不備が数多く見つかったために、専門家達の間でSTAP細胞=ES細胞の仮説がより説得力を増して受け入れられたのではないかと思われる。実はそこに大きな落とし穴があるのではないだろうか。つまり、不正の真相を究明するというよりも、自分達が見立てた仮説を立証することに重きを置き、その仮説の証拠集めをしていた理研の有志たちという図式による落とし穴。

この問題は、厚生労働省村木厚子氏の冤罪事件と似たところがあるのではないかと私は思っている。事件では郵便料金不正利用事件そのものは存在したが、その事件に関する捜査において検察は大きな間違いを犯した。STAP問題も同じように、不正は存在するもののその調査段階において間違いを犯しているのではないかということだ。元大阪地検特捜部の主任検事前田恒彦氏は証拠の改竄を行った。彼にしてみれば村木氏の共謀は揺ぎ無いものであったためにフロッピーの改竄など些細な問題だと考えたのだろう。検事の正義が暴走してしまった結果の冤罪事件だった。

翻ってSTAP問題においては、小保方晴子氏の不正は揺るぎないものであるとして、証拠の不足を捏造で補うことも平気な人間がいるのではないかと私は疑っている。それは、STAP細胞の存在は揺ぎ無いと考え、データの加工位は大したことではないと考えてしてしまった小保方氏とまったく同じ発想だ。しかしその悪質さにおいては雲泥の差で、かたや小保方氏がやったデータ加工など不正論文として世界中に山のように存在するものだが、もしSTAP=ESを立証するために証拠を捏造した者がいたとしたら、それは小保方氏や笹井氏を陥れる行為であり人権を脅かす犯罪行為に他ならない。

これと同じことは小保方氏の窃盗を示唆する番組演出をしたNHKスペシャルについても言えることで、「一研究者・教育者の意見」では番組に捏造があった可能性が検証されている。この番組も、小保方氏らの不正は明白なので多少の嘘も演出の範囲として、彼らの思う大きな正義の立場から見て「些細な嘘」を差し込んだのではないか。しかしその結果として些細な嘘では済まないほどの影響が出てしまった。この番組の過剰演出により不正の黒幕と示唆された笹井博士は自殺に追い込まれてしまったのだ。自殺の直接の原因とは言えないものの、この番組が笹井氏に与えたダメージは自殺へ追い込む後押しをした可能性は否定できないし、もし番組に捏造があったとしたらこれは実に許しがたいことであり、この番組は徹底的に検証されるべきだろう。

私は、報道などで漏れ伝わってくる「理研有志」の行動に、どうしてもそれと同じ臭いを感じてしまう。「有志」の中にある正義の暴走がとんでもない間違いを犯してしまっているのではないかという気がしてならないのだ。小保方氏を科学界に紛れ込んだ異物として、人をまるで焼きそばに混入したゴキブリのごとく扱う科学者なんて、どいつもこいつもそんな連中ばかりではないのかというのが、この騒動を通して感じている私の印象なのだ。

今月26日に出されたSTAP細胞論文に関する調査結果に大変困惑している。
STAP細胞とされたものが実際はES細胞であった可能性が高く、しかもそれは若山研究室で作成されたものだったとされたのだ。「混入」という表現ではあったが実際には汚染ではなく故意によりすり替わっていたと推定されている。もし仮に小保方氏が若山研究室内にあった既存のES細胞を何らかの手段で手に入れSTAP細胞と偽っていたということであれば、かなりの長期間にわたり架空の実験で協力者達を騙し続けていたことになるが、そのような無茶苦茶な不正が行われることがあり得るとは俄かには信じがたい。ES細胞のプロ達の目を欺くためにどれだけ危ない橋を渡り続けなければならないか。動機も不明な知能犯が超一流の科学者達をひたすら騙し続けるというのは現実的に無理がありすぎて、浮世離れした人たちが描く漫画チックな妄想としか思えない。その一方で、本人の故意でないとしたら、彼女を罠に嵌めようとする悪意が存在し、例えば今回の調査試料の方が摩り替えられた等の荒唐無稽な想像を加えなければ説明の付かない出来事が起きたということになるだろう。この調査報告はまったくなにがなんだか分からない。

以前、学者の偉い先生たちが、STAP細胞論文は世界三大不正に数えられる大事件だと言った。東京大学での大量の論文不正や、ノバルティスファーマの研究不正など比較にならないほどの大事件だということか。確かに超一流の科学者たちが関係し「世紀の大発見」と謳われたものが不正論文というのは日本の科学者達にとっては大事件なのだろう。しかしいったいSTAP細胞がバルサルタンと比べて社会に対する実害がどれほど大きかったのだろうか。論文発表とほぼ同時に疑義が出され世界中の研究者から一度も引用されることなく取り下げられた論文が、科学の歴史の中でどんな悪影響を及ぼしたというのだろうか。

STAP問題に対する科学者社会の対応に私は違和感を感じ続けていたわけだが、科学者達の不正追及の目的が、社会正義ではなく「科学コミュニティの秩序」の方にあるから、私達の認識とこれだけのズレがあるのだろう。だから、この集団リンチが全体主義の様相を呈しているのも当然のことなのだろう。ファシズムにとって最も大切なものは”秩序”なのだから。
当初から指摘されていた小保方氏のデータ管理の杜撰さは、科学者としてあるまじき非常識さなのだろう。彼らにしてみれば本来そこにいるはずのない異分子が紛れ込み、科学者社会の”秩序”を根底からひっくり返す程のオイタをしてしまった。彼らにとって小保方氏はカップ焼きソバに混入したゴキブリに見えたことだろう。

今にして思えば、石井調査委員会の小保方氏に対する扱いは焼きソバに混入したゴキブリを取り除く作業だったのかもしれない。そして分子生物学会理事長を初めとした科学コミュニティの理研に対する詰め寄り方は、ゴキブリの混入は自明なのでその原因を説明せよという意味だったのか。まったく適正な手続きを踏まない科学コミュニティの小保方氏に対する人権を無視した扱いは、文字通りの虫ケラ扱いだったのか。
そして対応を誤ったぺヤングの工場が操業停止したように理研CDBは解体された。

この問題が、今後どのような経過を辿るのかは分からない。ただ、科学者社会の中では小保方氏は再起など許されない異物でしかなかったと結論付けられたようだ。
一研究者・教育者の意見という科学者としては珍しく客観的視点からSTAP問題を論じているブログがあるが、その中で遠藤高帆氏や他の研究者たちとのコメント投稿でのやり取りを通して科学者達の傲岸さが浮き彫りになった。ツイッターなどネットを通し、権威を鵜呑みに頭ごなしに物事を決め付け世間に垂れ流すサイエンスライターの質の悪さを目の当たりにした。
私はこのブログ主のような人こそ「科学コミュニケーター」として科学と社会の架け橋になれば良いのにとちょっと思ったりしている。ただまあ今回の出来事を通して植えつけられた科学者に対する不信が消えることはないだろうが。

STAP騒動に関して、匿名の研究者ではあるが科学者にしては珍しく客観的視点を持ってこの問題を論じているブログがある。(ネット上で交わされる科学者達の発言等を目にして、私は科学者とはメタ視点を持てない視野狭窄な人種なのだと今では認識している。)
その中でこういう意見が述べられている。

『残念なことは、もし石井委員長の不正調査委員会が、「実験ノートからはテラトーマ作製実験(捏造と認定された画像の基となる実験)が本当に行われたかどうかフォローできなかったので、再実験をして証明せよ」と3月の段階で小保方氏に命じていたなら、7月には今日と同じ状態が導かれていた事であろう。笹井氏の死はなかったであろうし、CDBも解体的出直しを迫られることはなかった。』

なぜこんな当たり前のことが出来なかったのか。そうしていれば笹井氏は死なずに済んだというのはまったくその通りだと思う。同じ結果ではなかった可能性もあったのではないかと私は思っているが、少なくともここまで関係者たちを苦しめることはなかったはずだ。しかし、現実には調査委員会の不十分な調査を基にした「不正認定」を確定した事実として、科学者たちは小保方氏を犯罪者扱いして来た。
相澤氏の「犯罪者扱い」発言はもちろんマスコミに対する批判もあるが、記者会見終了後に一旦退出したあと引き返して発言をした意味は、実験責任者として理研を代表する立場で会見したあと、組織の代表ではなくひとりの科学者として、こういう事態に陥った元凶である理研の理事達への抗議の意味が大きかったように思う。記者会見の席で理研を代表する立場でこのようなことは言えない。

このように自分の立ち居地で話せること話せない事、話すべきでないことというものがあるのだが、マスコミはそういうことは一切考慮せず自分の疑問には何でも答える義務があるように報道する。例えば、4月9日の小保方会見は、調査委員会の調査が不十分であり再調査をして欲しいと言う旨の不服申し立てに関する会見だったが、NHKを初めとするマスコミは「疑義に対する反論会見」であるかのように報道し、メディアリテラシーに欠ける人たちはそのように誤認した。

理研という組織は、疑義が指摘された当初から小保方氏に対外的に反論する機会を与えないままなんとか収めようとし、庇い切れないとなったあとは調査対象として口を塞いでいた。そうして4月1日、当事者を表に出さないままいきなり「小保方晴子は単独で不正行為を行った」と全国民に向かって発表したのだ。理研が「下手人はコイツです」と世間に首を差し出した訳だから「犯罪者扱い」は当然の成り行きだろう。
これに対して小保方氏は理研に所属する研究員として所属する組織に対して再調査を求める不服申し立てをし、巨大な組織に対してちゃんとした手続きを取って欲しいと、そのことを世間に訴えかけるための会見を個人の立場で開いた訳だが、マスコミは論文の疑義に対する反論会見と位置づけて報道し、それに乗せられた科学者たちの反応は「疑義に対する答えがない」一色になった。

本来論文の疑義に対する反論は、理研として理研職員の立場で行われなければならず、あの場は自分の所属する組織に対して異議申し立てをする個人の立場なのであって、あの時小保方氏は決して疑義に対して反論出来る立場には居なかったのだ。しかしそのことは議論の中ではなぜか完全に無視されることになる。ほんのちょっと、ものごとを俯瞰してみれば自分たちがいかに不当なバッシングに加担しているのか気づきそうなものなのに、批判者たちはまったくその自覚がない。

そしてさらに、彼らは理研の不十分な調査に対してさんざん非難をしておきながら、不十分な調査で出された「不正認定」だけは確定した事実として採用するというご都合主義で集団リンチを続けた。この不当なバッシングは、犯罪者扱いをされ集中砲火を浴びる小保方氏はもちろんのこと「そんな場所に立たせてしまった」笹井氏の心を痛めつけ、死に追い込んだ。こんな滅茶苦茶がまかり通るのが科学の世界なんだと世に知らしめたのが今回のSTAP騒動だ。

組織を離れた今、もし小保方氏の精神が壊れずに生きる力が保てているのなら、最後に指摘されている疑義に対して科学的に答えて欲しいと思う。論文の著者としてこういう結果になったことについて今の自分の考えを語ってほしい。
しかし小保方氏には、研究者としてやり直せる可能性は恐らく殆どないのだろう。でもこの不条理に対して、間違っても例えば幸福の科学のような怪しげな団体に助けを求めるようなことにならないで欲しい。
STAP騒動では本当にひどい世界を目にしてしまった。

裁判について思ったことを書いたコメントをコピペします。
http://disktopaska.txt-nifty.com/aska/2014/08/22-67dd.html

併合罪の説明ありがとうございます。
私は刑法について詳しくはないのですが、刑法47条は罪に対する刑罰を有期刑とされたときに初めて意味を持つもので、殺人罪の法定刑は最高で死刑なので有期刑に限定することが無ければ併合罪には余り意味はないのではないでしょうか。
そして今回「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」とされ有期刑が選択されたのは、起訴状にあった三点の罪についてのみ裁かれたからではないでしょうか。強姦や脅迫、強要、ストーカー行為、リベンジポルノ等の被害者が受けた苦痛に対する罪は、それ自体は裁かれることなく量刑判断の参考資料として採用され、裁判員はその悪質性を認めて併合罪を使った有期刑としての上限の判決を出したわけです。

しかしもしも、強姦や脅迫強要ストーカー行為、リベンジポルノ等も「罪」として裁かれていたならば、「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」という判断そのものが違っていた可能性もあると思います。
法は起訴事実についてのみ刑罰を課すことになるのでこの事件は三点の罪についてのみ裁かれたわけで、それついて「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」となっていて、もしすべての罪を俎上に上げこの犯罪に正面から向き合えば「有期懲役と質的に異なる無期懲役とまでは言い難い」という判断はなかったかもしれません。
少なくとも「男女トラブルの殺人で被害者が1人」という紋切り型の判決文にはならなかったのではないでしょうか。

この裁判は控訴したとしても裁判員が出した一審判決より二審での判決が重くなることは考えにくいので、検察側は控訴しない方向で遺族を説得しているかもしれません。犯人もこれまでの言動から控訴しないことも考えられるのでこのまま確定してしまうかもしれません。
私はこの事件について、検察は被害の残酷さを考えて死刑を求刑しても良かったと思うし、判決においては劣悪な成育環境が原因で人格が歪んでしまった犯人に対して一定程度の同情を示して無期懲役の判決で決着して欲しかったと思っています。
この裁判は、被害者遺族の苦しみをさらに深めるようなとても後味の悪い裁判でした。

遺族は「死刑の恐怖と懲役のリスクは比べものにならない」と言っていますが、私は基本的には死刑制度反対なのですがこの事件について考えると、死刑は抑止力になるんじゃないかと思うようになりました。この犯人は自分のリスクも計算していて、自分の犯罪が死刑にはならないことが前提で犯行を計画しているように思われます。もしこの殺人が死刑になると思ったら犯人はこの犯行を計画していなかったでしょう。
報道される遺族のコメントから、裁判での遺族の歯痒さが伝わってきて胸を締め付けられる思いがしています。

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